小説や絵などの創作と旅

歴史や物語、ドラマ、映画などの舞台への旅



自分の創作のための舞台を探す旅





2017年5月10日水曜日

物書きのこだわり(使用機)

プロ作家の方々のエッセイなどにはよく、 『ワープロ全盛期に原稿用紙に手書きしてた』とか『PCが普及しワープロが廃れてもワープロを使い続けていた』 などと書いてあることが多い。

つまり、慣れている執筆方法はそう簡単に変えたくないということだろう。

プロでなくともこういう経験は皆してるのではなかろうか。

文章を書く場合、携帯、スマホなど手のひらサイズのものは、わたしはあまり使わない。

ワープロが家にない時は、ノートやルーズリーフにシャープペンで書いていた。

ワープロがある時はワープロ、ちょっと遅れてPCにチェンジしたけど、いまだになんとなくwordでは書きにくい。

長文が多い上に何度も下書きするので、スマホアプリはどうも苦手だ。

あと、できればキーボードのほうがやりやすいというのもある。

わたしの場合、7インチぐらいが一番書きやすいので、けっこう前の機種を使っている。

旅先やちょっとした外出先で、一緒にゆったりと過ごせる機械がよい。

外でリラックスできる気分になれる物だと、すっごく書きやすいから。

2017年5月7日日曜日

山の辺の道へ

その名からなんとなく気になっていた山の辺の道を訪れたのは春のことだった。


何もない田舎の狭い道ーーーー。


何も知らずに行ってしまえばそういう感想しか出てこないかもしれないけど・・・

それではあまりにも寂しすぎる。


山の辺の道と呼ばれるこの奈良~天理~桜井を縦断する古道は日本最古とも言われ、数々の歴史とドラマがあった道。


よく知られるのが天理の石上神宮から桜井の海柘榴市(つばいち)跡までを結ぶルートだけど、のどかで静かな景色からは古代の騒乱の様子は想像がつかない。


つばいち、とはこの地にあった古代の市場の名前で昔ここでは男女の出会いも盛んだったという。

第25代・武烈天皇は皇太子のころ、ここで出逢った豪族、物部氏の姫、影媛に恋したがすでに平群氏の鮪(しび)という男性と恋仲だった。

武烈天皇は鮪を殺害するが、影媛は鮪の亡骸を追い、山の辺の道を泣きながら北へ歩き続けるのだ。



山の辺の道は北へ行くほど車も人も少なくなる。

わたしは誰一人としてすれ違わなかったーーーー。


平穏な道だけど男女の悲しい物語が眠る土地。


ひっそりとたたずむ小さな道が、埋もれるように現代まで残っていた。